シリーズ:中国現地採用で人生をやり直す その3・通訳者&語学教師 S.Fさん(女性・30歳)「Tiktokでバズった語学教師、日本国籍を活かして稼げるキャリアウーマンにキャリアチェンジを達成!(^^)!」

ピンチはチャンス、2回失業しても再起可能!外国人だからこそ稼げるチャンスを引き寄せられる

このシリーズ「中国現地採用で人生をやり直す」では、現地採用で人生を変えた若きパイオニア達の経験をシェアして頂き、皆様のモチベーションアップ、情報共有、そして新たなライフステージへの進軍!!のサポートをしていきたいと思います!!

第3回は、海南省にお住まいの語学プロ S.Fさんの体験談です!!(*^^*)今回のキーワードは・・・

失業しても再起した方法は、自分の中で「コレをやる」をしっかり決めることです!

運営者が中国留学4年+現地就職6年の経験から生み出した、シロウトでも1ヶ月でプロレベルの通訳力が身につく。サラリーマンやOLが必須のスキル、ノウハウが満載!!『たった5単元で極める中国語通訳ハンドブック』

⇩詳しくはこちらから⇩

 

S.Fさん

 

1995年生まれ、30歳。東京都出身。
北京留学ののち、海南省で現地の方と結婚。
現在は通訳者としても活躍。

はじめまして、現在中国に住んで6年目になりますS.Fと申します。

ここでは私の中国と縁が深く波乱万丈な人生ストーリーを皆さんにありのままにシェアしたいと思います!

 

中国に興味を持ったきっかけ(家庭環境、学生時代、専攻、交友関係など)

実は私は日本で生まれ育った中国人2世です。両親とも中国・海南省出身で、元々父が1980年代大学院留学をきっかけに来日し、そのまま母を連れ日本に移住し結婚したことにより、このような境遇になりました。

 

しかし生まれ育った環境は完全に日本、さらに家では両親同士は方言の海南語(普通话とは発音も単語も全然違います)で話し、両親と私の間では基本日本語で話していたため、標準的な中国語を聞いたり使ったりする機会がなく、教育も考え方も、普通の日本人と殆ど同じように育ち、20歳になって日本に帰化しました。

 

保育園から高校まで義務教育を普通に受け、大学は地元にある神田外語大学の中国語専攻に進学することになりました。大学受験は小さい頃から英語を学んでいたことや語学が好きだったことから、第一志望は英語専攻、第二志望は両親の母語である中国語を選び、英語専攻に落ちたことで自動的に合格した中国語専攻に入りました。

 

そこで中国語を一から学び始めるのですが、大学一年時はある牛丼チェーン店のバイトをしまくっていて、夜勤などにも入っていたため、授業ではいつも居眠りしていて先生にも心配されるほどの落ちこぼれでした…….

 

(イメージ図:AIで作成)

 

大学2年になってこのままではダメだと自覚し、バイトを減らし授業や宿題を真面目にするようになってからは、中国語の発音の美しさや奥深さに惹かれ、気づけば中国語を勉強するのが楽しいと思えるくらい好きになりました。

 

それからは、会話力を伸ばしたり生の中国語に触れるため、日本国内でも可能な「中国語を話さざるを得ない環境」を自ら作りました。

例えば…….

  1. 日本国内の中国人留学生会に加入して、中国人留学生とお互いの言語で会話練習をしたり、時には一緒に遊びに行ったりする。
  2. 家で中国語のドラマやラジオを聴く
  3. 空港の免税店、展示会通訳、オリンピックのボランティアなど、僅かでも中国語を話せるアルバイトを探し、とにかく中国人と出会うチャンスがあれば何でも参加する

そして他の学生よりも中国語に多く触れ、大学4年生の時、当時最上級であったHSK6級に合格しました。

大学ではHSK関連の授業は特になかったため、自分で参考書を買って勉強したり、作文パートは大学の中国人先生に添削してもらうなどして対策していました。

 

留学をしたきっかけ、中国を選んだきっかけ

その後就職活動も始まり、中国語や中国と関連がある企業中心に応募し、説明会、書類選考、2-3回の面接とふるい落とされていくわけですが、学歴も高くなく面接も上手く発揮できず、いつも最終面接まで進まず、卒業手前で採用された、ある国際空港委託企業に新卒で就職しました。

 

配属されたのは、空港内の各インフォメーションカウンターで旅客を案内する仕事で、世界各国のお客様と接することができ、語学も活かせるのでやりがいはあったのですが、女性の職場特有の人間関係とシフトの時間帯が不規則なことから、心身共に疲れ果て、最後は自ら辞職しました。

 

(イメージ図:AIで作成)

このようにせっかくの新卒カードをあっさり捨てることとなった私ですが、それを機に自分の人生を見つめ直しました。

これからどう歩もうか考えたら、頭にまっ先に浮かんだのが大学時代からずっと行きたかった中国留学だったのです。

 

  • 両親の祖国を自分の目で深く知りたい
  • 中国語がペラペラになりたい
  • 今まで学業も仕事もいまいちだったからガラッと環境を変えて人生やり直したい

 

…….様々な想いを抱えていました。

 

私は日本で生まれ育ったものの、

  • 所謂「日本式」のマニュアル習慣に縛られる
  • 周囲と同じように合わせてなければ「変な人」扱いされる

 

…….こうしたところに違和感を感じる事が多く、他の国ではこのような考え方や価値観はどうなのか、実際に生活してみて実感したい気持ちもありました。

 

そうして中国留学の情報をネットで調べていくうちに、「北京外国語大学東京事務所」があることを発見しました。

(北京外国語大学キャンパス)

 

早速事務所に足を運び話を聞くと、大学院留学はHSK5級以上を取得していて一定の手数料を払えば、事務所の理事である教授が学校に推薦してくれて、手続きも手伝ってくれるとのことΣ(゚Д゚)

 

北京外国語大学は、中国の外国語大学の中で一番レベルの高い大学で、学部生に日本人クラスがあり、基本条件を満たせば中国語のレベル問わず事務所を通して入学可能です。

今は全員奨学金がもらえ、学費も無料になるので、興味がある方は連絡してみてください!

私はその年になんとしても留学に行きたかったので、この制度のおかげで、筆記試験なしで、研究計画書とビデオ面接のみで順調に合格することができました。

参考

北京外国語大学東京事務所のホームページ(リンク付き)
中国留学・北京外国語大学中文学部 正規留学 | Beijing Foreign Studies University

 

留学先の特徴、キャンパス、専攻課程、卒業後の進路、交換留学、奨学金制度

2019年9月、北京に渡り、ついに念願の大学院留学が始まりました。

専攻は中国語国際教育で、主に中国語教師になるための語学知識や教育理論、授業の実践や教師実習を2年制で行います。クラスは中国人学生約70名と各国の留学生12名から構成されていて、日本人は私1人だけでした

 

学部と違い、修士・博士ともなると専攻によっては私のように日本人が1人だけとなるケースも多々あるようですね。

 

勿論、中国人学生と一緒に授業を受けるので、先生の中国語を話すスピードが速く、最初はなかなか聞き取れず、授業についていくのに必死でした。でも、授業を重ねるうちに耳も慣れてきて、だんだん苦労せず聞き取れるようになります。

中国の修士課程は授業が学部生と同じくらい多く、ほぼ全ての授業にレポートやグループワークなどの課題が出されるため、あまり遊ぶ余裕がなく、授業が終わったら図書館に行って宿題をする日々を送っていました。

(授業演習の様子)

 

ところが冬休みに入り、親戚がいる海南で春節を過ごしている時、コロナウイルスが世界で流行し始め、大学に戻れず、後期はずっとオンライン授業を受けていました。

 

しかし幸運なことに、M2(院2年目)の前期になってコロナが少し落ち着いてくると、私は幸い中国国内にいたので大学に戻れるようになり、数少ない日本人として、日系企業の北京駐在員と提携している某中国語教室でその家族を対象に半年間中国語教師の実習を行いました。

 

最大の難関は修士論文です。

 

外国語で大量の論文を読み、問題を探り、研究や調査を行い、分析しながら論理的に2万字以上の文章を書かなければなりません。途中何度もくじけそうになりましたが、指導教授の意見をよく聞き、クラスメイトや日本人留学生の協力のもとなんとか書き上げ、最終答弁もクリアすることができました。

 

他の留学生のクラスメイトは、コロナの影響もあり半分ほどが修士論文を完成できず卒業できなかったので、中国の大学院は入るのは簡単だが出るのが難しい、と言われる理由がよくわかりました。

 

授業以外のイベント参加、自身のアクション

授業以外では、学校の資源を利用して、ランゲージパートナーを作ったり、日本語コーナーや留学生/日本人向けのイベント、ツアーなどに積極的に参加したりして、たくさんの人と交流していました。

 

学校外では、中日学生交流団体Freebird北京支部に加入し、オンラインイベントの運営に携わったり、イベントの司会を数回務めるなど貴重な経験ができました。

 

(中日学生交流団体Freebird北京支部の公式アカウント)

WeChatインスタグラムあります、興味がある方は是非!!

 

また、語学教育の経験を積むため、日本人クラスのメンバーにボランティアで中国語のオンラインレッスンをしたり、日本語の家庭教師のアルバイトもしていました。

 

(小さな子供に語学を教えるのもいい経験でした!)

 

このように北京外国語大学の大学院留学を通して、優秀な先生方や中国人学生と出会え、たくさんの啓発を受けたとともに、中国式の習慣や考え方も身につけられ、それが私の人生を大きく変えるターニングポイントになりました。

※ちなみに、北京は訛りもないですし、物価も食べ物や生活費は他の大都市と比べると安いです。

※物価参考
  • 食堂のご飯:一食20元以内
  • 外食:麵類 20-30元程度、丼物・定食 25-40元
  • スーパーの野菜や果物 一斤(500g)3-15元ほど、豚肉 一斤20-30元、牛肉 一斤40-60元
    市場で買う時は皆値切るので、もっと安く新鮮なものが食べられます。

観光地としても中国の中心地だけとあって、壮大で歴史ある代表的なところから現代的な町、芸術的でおしゃれな町、地元民でにぎわう下町胡同など、様々な風格が感じられるので、留学先に北京はお薦めです。

 

自身の卒業後の進路・夢や目標について

卒業後は元々日本に戻り、専門で学んだことを活かし中国語教師になろうと思っていました。

 

しかし、コロナ禍と現地の方と恋愛をしたことで、進路が一転します!(^^)!

 

コロナ禍で海南省にいた私は言語交換アプリを通して現地で働いてた中国人と出会い、北京に戻る間際に付き合い始めました。

その後約1年北京海南遠距離恋愛を経て、卒業後は一緒にいたいと思うようになりました。当時はコロナ禍で日本への帰国や就職も難しかったため、就職活動は当初から「海南」「日本語教師」を軸に行いました。

中国では求人サイトやアプリのほか、自身から直接就職希望の企業や大学に直接メールや電話をしてコンタクトを取ります。

私もそうして数多くの大学にコンタクトを取った結果、幾つかの大学から返事があり、オンライン面接などを通し、運よく海南省トップの大学である海南大学から内定をいただくことができました。

 

★特に中国の大学教員採用は殆ど一般公開していないので、知り合いの先生の紹介やホームページで連絡先を見つけてアタックすることがとーっても重要です👆

 

就職後の出来事、仕事1 ー大学教員ー

中国の大学の外国人語学教師(外教 wài jiào と呼称しますは、凡そ授業が週14-18コマ(授業1回1コマ45分×2=90分)ほどで、それ以外の時間は基本的に自由です。

 

また、基本無償の寮と、年に1回分の帰国往復チケット代や夏休みや冬休みも有給なところが多く、手当も非常に厚いです。

私が就職した海南大学はさらに毎月200元(約4,411円/2025年11月レート)の食堂手当や中国の厚生保険に当たる五险 wǔ xiǎnも加入でき、無償の寮あるいは毎月2,000元(約44,112円/2025年11月レート)の賃貸手当を選択できました。

基本給はそこまで高くありませんが、待遇が良く、年に2回夏休みと冬休みの長期休暇もありフレキシブルに働けると考えるとメリットも多いと思います。

※参考:中国の国立大学の外国人語学教師の月給はおおよそ学部卒6000元、修士卒8000元、博士卒10000元が基準。

 


私が担当していた授業は主に、会話とリスニングで、それ以外に会話や作文の課外クラス、院生向けマンツーマン会話練習、卒業論文添削などをしていました。

特に研修のようなものはなく、授業設計や指導方法など全て教師自身に任されます。

 

大人数クラスを担当するのは初めてであったため、最初は設備の使い方や初級学生との意思疎通など慣れない部分もありましたが、授業を重ねるごとに調整し、徐々に自分なりの指導方法を確立していきました。

 

 

そのうちに学生ともだんだん打ち解け、中国は先生と学生との距離が近いので、普通にwechatを交換したり、一緒にご飯や遊びに行ったり、年も近いせいか友達のように接していました。

 

中国の大学生は真面目で素直な子が多いです。

 

授業以外では、中国人先生とチームを組んで海南省外教授業コンテストに出場し、3等賞を取り赤い賞状の冊子(荣誉证书 róng yù zhèng shū)を頂きました。

 

中国ではこの荣誉証書をたくさん持っていると、実力が認められ就職などで有利になるそうです。

他にも、授業以外の空いた時間で中国版tiktokのアカウントを作り、日本語や日本文化の紹介、海南現地の生活の様子などに関する動画をマイペースに投稿しています。

その中で奇跡的にバズり、再生回数約60万回を達した作品がこちらです!(^^)!⇩⇩

(ダジャレをリズムに合わせて歌った動画)


その後ライブ配信も試してみたら、日本人がライブしてるのは珍しいのか、リスナーも多く、毎回フォロワーが数百人増え、今は12000人フォロワーがいます。今後は動画の投稿も増やしていき、フォロワーの数を増やし、収入源にも繋げていきたいです。

 


このように公私ともに充実した日々を送っていたわけですが、2年後の契約期限であった2023年8月に、学校側による都合で契約を更新せずに退職することになってしまいました。

 

外教の契約形態はやはり本国人の正規採用と異なり、1~2年ごとの契約更新が必要な臨時採用のため雇用が不安定であることを念頭に置いて、働く地域や転職先を常に考えておく必要があります


就職後の出来事、仕事2 ー日系Eコマース企業ー

しかしそれでも私は日本語教育の道に進みたかったので、中国各地の大学(例:上海、湖南、遼寧など)に応募してオンライン面接や模擬授業をし、結果全ての大学から内定を頂きました。

 

その中で最もレベルが高い大学は瀋陽にある東北大学で、旦那の出身地も瀋陽だったので、そこに就職する予定でビザの手続きなども進めていました。

 

ところが、旦那の両親が病気になって急遽彼が瀋陽に帰り、1か月ほど遠距離に。それだけでもかなり辛いのに、瀋陽に行ったら長期間遠距離になってしまう。

 

やっぱり好きな人のそばにいれることが私にとって一番の幸せだ!

 

…….と気づき、東北大学を諦めて、オファーをもらった海南省・海口のある日系企業に転職しました。

 


転職先は日本で最大のBtoBプラットフォームを運営している上場会社の海南子会社で、越境Eコマースの業務をしており、独自のBtoB卸売プラットフォームを開発して、日中双方のサプライヤーとバイヤーが取引できる場を提供したり、オフラインでも日中双方に展示場を作り、色々なメーカーの商品をバイヤー向けに展示していました。

 

 

海南では自由貿易港の政策により、輸入商品が税関を通る際、関税を徴収されないゼロ関税の優遇があるため、越境Eコマースや貿易業界の企業が進出しやすいです。

 

私の職種は日本語通訳兼翻訳で、主に海外部長駐在員に付き添い、海南子会社と日本本部の内部通訳をしたり、社内の資料や商品紹介資料、プラットフォームの翻訳を担当していました。

(通訳は正確さとスピードが求められるので、毎回緊張します…….)

 

中でも会議通訳は、正確に速く伝えることが重要で、専門用語も多く出てくるため、難しかったです。

 

また、駐在員の部長やその家族は中国語が話せないため、生活や手続きのアシスタントも同時に行っていて、一時期は任務が多く残業ざんまいでした。

 

ちなみに、この会社の残業制度は残業代を出すのではなく、残業した時間分を他の日に休暇として取れる仕組みになっていました。また、中国人はプライベートを大切にしたいのか、退勤の時間になると、上司の目も気にせずみんなすぐに席を離れて立ち去ります。


この会社は資金を使い、プロジェクトをたくさん増やし、業務を拡大していきましたが、日中間の習慣やビジネスのやり方などの違いでよく揉め事が起きたり、利益が殆ど無いといって、いずれ開発も打ち切りになるという事態が起きました…….。

 

そんな中、ある日の会議で副社長が

「弊社は資金不足である、よってこれから人員削減を実施する」

…….と宣言し、なんとその日のうちに、私も人事部長に呼ばれ、契約解除の話があり、2025年の春節前にリストラになりました。変化が速すぎて驚きです。

(イメージ図:AIで作成)

 

外国籍社員は本国人より給料が高いことはメリットであると同時に、一旦会社が資金難となった際にはシビアに切られる可能性もあることは知っておいた方が良いでしょう。

特に中国の日系企業は全体的に縮小傾向にあり、たとえ大手でも安定とは程遠い可能性も十分にあります。だからこそ「会社で生きる」のではなく「コレを武器に生きる」と、自身の強みを明確にすることが現地採用では必須です。

 

就職後の出来事、仕事3 ー日中人材ビジネス交流協会ー

それからちょうどリストラのタイミングで中国で入籍しました。

 

海南に残りたいと思い、就職アプリを使って日本語が使える仕事を探しますが、元々日本語専攻や日系企業が他の都市と比べてかなり少ない海南は、募集している数が少なく、仮に返事があっても明らかに怪しい企業も少なくありませんでした。

夫は国営企業に勤務してましたが、給料も決して高いとは言えずこれからどうしようと焦る日々。

 

ところが2か月後、転機が訪れました!

 

高校の日本語教師の紹介を通して、2人の経営者と出会い、彼らの事業が私の経験とやりたいことマッチしていたので、その会社に入社し、チームに加わりました。

 

人情社会の中国では就職においても、一般募集よりもコネや紹介などの方が圧倒的に採用されやすいことを今回の就活を通して実感しました。

 

中国で生活をしていくなら、人脈はやはり大切です。中国の面白いところは、そこまで深い知り合いでなくとも、仕事に関連している人が思わぬ助け舟を出してくれることが多々あるのです!


入社したばかりですが、主な事業は、1つは一般財団法人日中人材ビジネス交流協会海南事務所として、協会に加わっている日本のメーカーさんの商品をオンライン、オフライン両方を使ってプロモーションし、代理商やバイヤーに販売する貿易の仕事。

 

もう一つは教育事業で、海口の高校と提携し、日本語クラブの学生たちに授業をして日本の高校への留学プログラムを勧めたり、日本語語学教室の設立も計画しています。

 

これらの事業はスタートしたばかりなため、私の日本語教師や通訳、セルフメディアの実力を大いに発揮して、経営者たちと協力し、成果をあげていきたいです。

 

最後にアドバイス

ここまで長々と私の6年間に渡る中国の体験談を書いてきましたが、最後に一番伝えたいことは、留学したり、現地で活躍したいなら、身近に中国人のパートナーを作ることが早道(≧▽≦)ということです。

それは親友、恋人、先生、同僚など深い意思疎通ができれば誰でもかまいません。

 

なぜなら、日本と中国は隣国であるにも関わらず、習慣や考え方、価値観が違うところが相当多いです。

そこで、中国人のパートナーがいると、中国の社会事情や中国人の考え方を教えてくれるし、困った時にもパートナーの人脈や経験で助けてくれて、問題解決と心の支えになるからです。

 

人付き合いが得意でない私も、留学時代に夫と出会ったことで、勉強や仕事、人間関係全てにおいて常に彼に相談し、導いてもらったおかげで、中国の大学院をスムーズに卒業でき、2回失業したにも関わらず、海南に残り続けていて、日本人という希少価値を活かして平均以上の収入を頂けています。

 

そして、どれだけの逆境があっても「自分がコレをしたい!」と強く決めたことは、必ず心の中にとどめておいてください。

その決意があなたを支える何よりの原動力となるからです!!私の場合は言語がそうでした。

 

私のように

  • 日本だと居心地が悪い
  • 人生上手くいっていない

…という経験を一度でもされたことがある方は、思い切って中国という新しい環境に身を置いてみてはいかがでしょうか?

中国には、日本にはない開放感と日本以上にチャレンジ可能な環境があります。郷に入って自分の可能性を探ってみると、良い仕事やチャンスに出会え、人生までもが変わるかもしれません。

中国に興味がある皆さんが、私の体験談を参考に、将来中国で活躍されることをお祈りいたします!!

⇩その他の体験談はコチラから⇩

シリーズ:私の中国留学体験記 工業デザイナー H.Rさん・27歳 ファーウェイ、テンセント、bilibili…あの超有名企業の授業が受けられる超名門大学への留学から華麗なるキャリアチェンジ!

シリーズ:中国現地採用で人生をやり直す その1・ホテルマン S.Mさん(女性・28歳)「20代でVIPのお客様や投資計画に参加、中国新規開業ホテルで年収100万円UPし自己肯定感爆上がり!」

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北京留学ののち、海南省で現地の方と結婚。
現在は通訳者としても活躍。

はじめまして、現在中国に住んで6年目になりますS.Fと申します。

ここでは私の中国と縁が深く波乱万丈な人生ストーリーを皆さんにありのままにシェアしたいと思います!

 

中国に興味を持ったきっかけ(家庭環境、学生時代、専攻、交友関係など)

実は私は日本で生まれ育った中国人2世です。両親とも中国・海南省出身で、元々父が1980年代大学院留学をきっかけに来日し、そのまま母を連れ日本に移住し結婚したことにより、このような境遇になりました。

 

しかし生まれ育った環境は完全に日本、さらに家では両親同士は方言の海南語(普通话とは発音も単語も全然違います)で話し、両親と私の間では基本日本語で話していたため、標準的な中国語を聞いたり使ったりする機会がなく、教育も考え方も、普通の日本人と殆ど同じように育ち、20歳になって日本に帰化しました。

 

保育園から高校まで義務教育を普通に受け、大学は地元にある神田外語大学の中国語専攻に進学することになりました。大学受験は小さい頃から英語を学んでいたことや語学が好きだったことから、第一志望は英語専攻、第二志望は両親の母語である中国語を選び、英語専攻に落ちたことで自動的に合格した中国語専攻に入りました。

 

そこで中国語を一から学び始めるのですが、大学一年時はある牛丼チェーン店のバイトをしまくっていて、夜勤などにも入っていたため、授業ではいつも居眠りしていて先生にも心配されるほどの落ちこぼれでした…….

 

(イメージ図:AIで作成)

 

大学2年になってこのままではダメだと自覚し、バイトを減らし授業や宿題を真面目にするようになってからは、中国語の発音の美しさや奥深さに惹かれ、気づけば中国語を勉強するのが楽しいと思えるくらい好きになりました。

 

それからは、会話力を伸ばしたり生の中国語に触れるため、日本国内でも可能な「中国語を話さざるを得ない環境」を自ら作りました。

例えば…….

  1. 日本国内の中国人留学生会に加入して、中国人留学生とお互いの言語で会話練習をしたり、時には一緒に遊びに行ったりする。
  2. 家で中国語のドラマやラジオを聴く
  3. 空港の免税店、展示会通訳、オリンピックのボランティアなど、僅かでも中国語を話せるアルバイトを探し、とにかく中国人と出会うチャンスがあれば何でも参加する

そして他の学生よりも中国語に多く触れ、大学4年生の時、当時最上級であったHSK6級に合格しました。

大学ではHSK関連の授業は特になかったため、自分で参考書を買って勉強したり、作文パートは大学の中国人先生に添削してもらうなどして対策していました。

 

留学をしたきっかけ、中国を選んだきっかけ

その後就職活動も始まり、中国語や中国と関連がある企業中心に応募し、説明会、書類選考、2-3回の面接とふるい落とされていくわけですが、学歴も高くなく面接も上手く発揮できず、いつも最終面接まで進まず、卒業手前で採用された、ある国際空港委託企業に新卒で就職しました。

 

配属されたのは、空港内の各インフォメーションカウンターで旅客を案内する仕事で、世界各国のお客様と接することができ、語学も活かせるのでやりがいはあったのですが、女性の職場特有の人間関係とシフトの時間帯が不規則なことから、心身共に疲れ果て、最後は自ら辞職しました。

 

(イメージ図:AIで作成)

このようにせっかくの新卒カードをあっさり捨てることとなった私ですが、それを機に自分の人生を見つめ直しました。

これからどう歩もうか考えたら、頭にまっ先に浮かんだのが大学時代からずっと行きたかった中国留学だったのです。

 

  • 両親の祖国を自分の目で深く知りたい
  • 中国語がペラペラになりたい
  • 今まで学業も仕事もいまいちだったからガラッと環境を変えて人生やり直したい

 

…….様々な想いを抱えていました。

 

私は日本で生まれ育ったものの、

  • 所謂「日本式」のマニュアル習慣に縛られる
  • 周囲と同じように合わせてなければ「変な人」扱いされる

 

…….こうしたところに違和感を感じる事が多く、他の国ではこのような考え方や価値観はどうなのか、実際に生活してみて実感したい気持ちもありました。

 

そうして中国留学の情報をネットで調べていくうちに、「北京外国語大学東京事務所」があることを発見しました。

(北京外国語大学キャンパス)

 

早速事務所に足を運び話を聞くと、大学院留学はHSK5級以上を取得していて一定の手数料を払えば、事務所の理事である教授が学校に推薦してくれて、手続きも手伝ってくれるとのことΣ(゚Д゚)

 

北京外国語大学は、中国の外国語大学の中で一番レベルの高い大学で、学部生に日本人クラスがあり、基本条件を満たせば中国語のレベル問わず事務所を通して入学可能です。

今は全員奨学金がもらえ、学費も無料になるので、興味がある方は連絡してみてください!

私はその年になんとしても留学に行きたかったので、この制度のおかげで、筆記試験なしで、研究計画書とビデオ面接のみで順調に合格することができました。

参考

北京外国語大学東京事務所のホームページ(リンク付き)
中国留学・北京外国語大学中文学部 正規留学 | Beijing Foreign Studies University

 

留学先の特徴、キャンパス、専攻課程、卒業後の進路、交換留学、奨学金制度

2019年9月、北京に渡り、ついに念願の大学院留学が始まりました。

専攻は中国語国際教育で、主に中国語教師になるための語学知識や教育理論、授業の実践や教師実習を2年制で行います。クラスは中国人学生約70名と各国の留学生12名から構成されていて、日本人は私1人だけでした

 

学部と違い、修士・博士ともなると専攻によっては私のように日本人が1人だけとなるケースも多々あるようですね。

 

勿論、中国人学生と一緒に授業を受けるので、先生の中国語を話すスピードが速く、最初はなかなか聞き取れず、授業についていくのに必死でした。でも、授業を重ねるうちに耳も慣れてきて、だんだん苦労せず聞き取れるようになります。

中国の修士課程は授業が学部生と同じくらい多く、ほぼ全ての授業にレポートやグループワークなどの課題が出されるため、あまり遊ぶ余裕がなく、授業が終わったら図書館に行って宿題をする日々を送っていました。

(授業演習の様子)

 

ところが冬休みに入り、親戚がいる海南で春節を過ごしている時、コロナウイルスが世界で流行し始め、大学に戻れず、後期はずっとオンライン授業を受けていました。

 

しかし幸運なことに、M2(院2年目)の前期になってコロナが少し落ち着いてくると、私は幸い中国国内にいたので大学に戻れるようになり、数少ない日本人として、日系企業の北京駐在員と提携している某中国語教室でその家族を対象に半年間中国語教師の実習を行いました。

 

最大の難関は修士論文です。

 

外国語で大量の論文を読み、問題を探り、研究や調査を行い、分析しながら論理的に2万字以上の文章を書かなければなりません。途中何度もくじけそうになりましたが、指導教授の意見をよく聞き、クラスメイトや日本人留学生の協力のもとなんとか書き上げ、最終答弁もクリアすることができました。

 

他の留学生のクラスメイトは、コロナの影響もあり半分ほどが修士論文を完成できず卒業できなかったので、中国の大学院は入るのは簡単だが出るのが難しい、と言われる理由がよくわかりました。

 

授業以外のイベント参加、自身のアクション

授業以外では、学校の資源を利用して、ランゲージパートナーを作ったり、日本語コーナーや留学生/日本人向けのイベント、ツアーなどに積極的に参加したりして、たくさんの人と交流していました。

 

学校外では、中日学生交流団体Freebird北京支部に加入し、オンラインイベントの運営に携わったり、イベントの司会を数回務めるなど貴重な経験ができました。

 

(中日学生交流団体Freebird北京支部の公式アカウント)

WeChatインスタグラムあります、興味がある方は是非!!

 

また、語学教育の経験を積むため、日本人クラスのメンバーにボランティアで中国語のオンラインレッスンをしたり、日本語の家庭教師のアルバイトもしていました。

 

(小さな子供に語学を教えるのもいい経験でした!)

 

このように北京外国語大学の大学院留学を通して、優秀な先生方や中国人学生と出会え、たくさんの啓発を受けたとともに、中国式の習慣や考え方も身につけられ、それが私の人生を大きく変えるターニングポイントになりました。

※ちなみに、北京は訛りもないですし、物価も食べ物や生活費は他の大都市と比べると安いです。

※物価参考
  • 食堂のご飯:一食20元以内
  • 外食:麵類 20-30元程度、丼物・定食 25-40元
  • スーパーの野菜や果物 一斤(500g)3-15元ほど、豚肉 一斤20-30元、牛肉 一斤40-60元
    市場で買う時は皆値切るので、もっと安く新鮮なものが食べられます。

観光地としても中国の中心地だけとあって、壮大で歴史ある代表的なところから現代的な町、芸術的でおしゃれな町、地元民でにぎわう下町胡同など、様々な風格が感じられるので、留学先に北京はお薦めです。

 

自身の卒業後の進路・夢や目標について

卒業後は元々日本に戻り、専門で学んだことを活かし中国語教師になろうと思っていました。

 

しかし、コロナ禍と現地の方と恋愛をしたことで、進路が一転します!(^^)!

 

コロナ禍で海南省にいた私は言語交換アプリを通して現地で働いてた中国人と出会い、北京に戻る間際に付き合い始めました。

その後約1年北京海南遠距離恋愛を経て、卒業後は一緒にいたいと思うようになりました。当時はコロナ禍で日本への帰国や就職も難しかったため、就職活動は当初から「海南」「日本語教師」を軸に行いました。

中国では求人サイトやアプリのほか、自身から直接就職希望の企業や大学に直接メールや電話をしてコンタクトを取ります。

私もそうして数多くの大学にコンタクトを取った結果、幾つかの大学から返事があり、オンライン面接などを通し、運よく海南省トップの大学である海南大学から内定をいただくことができました。

 

★特に中国の大学教員採用は殆ど一般公開していないので、知り合いの先生の紹介やホームページで連絡先を見つけてアタックすることがとーっても重要です👆

 

就職後の出来事、仕事1 ー大学教員ー

中国の大学の外国人語学教師(外教 wài jiào と呼称しますは、凡そ授業が週14-18コマ(授業1回1コマ45分×2=90分)ほどで、それ以外の時間は基本的に自由です。

 

また、基本無償の寮と、年に1回分の帰国往復チケット代や夏休みや冬休みも有給なところが多く、手当も非常に厚いです。

私が就職した海南大学はさらに毎月200元(約4,411円/2025年11月レート)の食堂手当や中国の厚生保険に当たる五险 wǔ xiǎnも加入でき、無償の寮あるいは毎月2,000元(約44,112円/2025年11月レート)の賃貸手当を選択できました。

基本給はそこまで高くありませんが、待遇が良く、年に2回夏休みと冬休みの長期休暇もありフレキシブルに働けると考えるとメリットも多いと思います。

※参考:中国の国立大学の外国人語学教師の月給はおおよそ学部卒6000元、修士卒8000元、博士卒10000元が基準。

 


私が担当していた授業は主に、会話とリスニングで、それ以外に会話や作文の課外クラス、院生向けマンツーマン会話練習、卒業論文添削などをしていました。

特に研修のようなものはなく、授業設計や指導方法など全て教師自身に任されます。

 

大人数クラスを担当するのは初めてであったため、最初は設備の使い方や初級学生との意思疎通など慣れない部分もありましたが、授業を重ねるごとに調整し、徐々に自分なりの指導方法を確立していきました。

 

 

そのうちに学生ともだんだん打ち解け、中国は先生と学生との距離が近いので、普通にwechatを交換したり、一緒にご飯や遊びに行ったり、年も近いせいか友達のように接していました。

 

中国の大学生は真面目で素直な子が多いです。

 

授業以外では、中国人先生とチームを組んで海南省外教授業コンテストに出場し、3等賞を取り赤い賞状の冊子(荣誉证书 róng yù zhèng shū)を頂きました。

 

中国ではこの荣誉証書をたくさん持っていると、実力が認められ就職などで有利になるそうです。

他にも、授業以外の空いた時間で中国版tiktokのアカウントを作り、日本語や日本文化の紹介、海南現地の生活の様子などに関する動画をマイペースに投稿しています。

その中で奇跡的にバズり、再生回数約60万回を達した作品がこちらです!(^^)!⇩⇩

(ダジャレをリズムに合わせて歌った動画)


その後ライブ配信も試してみたら、日本人がライブしてるのは珍しいのか、リスナーも多く、毎回フォロワーが数百人増え、今は12000人フォロワーがいます。今後は動画の投稿も増やしていき、フォロワーの数を増やし、収入源にも繋げていきたいです。

 


このように公私ともに充実した日々を送っていたわけですが、2年後の契約期限であった2023年8月に、学校側による都合で契約を更新せずに退職することになってしまいました。

 

外教の契約形態はやはり本国人の正規採用と異なり、1~2年ごとの契約更新が必要な臨時採用のため雇用が不安定であることを念頭に置いて、働く地域や転職先を常に考えておく必要があります


就職後の出来事、仕事2 ー日系Eコマース企業ー

しかしそれでも私は日本語教育の道に進みたかったので、中国各地の大学(例:上海、湖南、遼寧など)に応募してオンライン面接や模擬授業をし、結果全ての大学から内定を頂きました。

 

その中で最もレベルが高い大学は瀋陽にある東北大学で、旦那の出身地も瀋陽だったので、そこに就職する予定でビザの手続きなども進めていました。

 

ところが、旦那の両親が病気になって急遽彼が瀋陽に帰り、1か月ほど遠距離に。それだけでもかなり辛いのに、瀋陽に行ったら長期間遠距離になってしまう。

 

やっぱり好きな人のそばにいれることが私にとって一番の幸せだ!

 

…….と気づき、東北大学を諦めて、オファーをもらった海南省・海口のある日系企業に転職しました。

 


転職先は日本で最大のBtoBプラットフォームを運営している上場会社の海南子会社で、越境Eコマースの業務をしており、独自のBtoB卸売プラットフォームを開発して、日中双方のサプライヤーとバイヤーが取引できる場を提供したり、オフラインでも日中双方に展示場を作り、色々なメーカーの商品をバイヤー向けに展示していました。

 

 

海南では自由貿易港の政策により、輸入商品が税関を通る際、関税を徴収されないゼロ関税の優遇があるため、越境Eコマースや貿易業界の企業が進出しやすいです。

 

私の職種は日本語通訳兼翻訳で、主に海外部長駐在員に付き添い、海南子会社と日本本部の内部通訳をしたり、社内の資料や商品紹介資料、プラットフォームの翻訳を担当していました。

(通訳は正確さとスピードが求められるので、毎回緊張します…….)

 

中でも会議通訳は、正確に速く伝えることが重要で、専門用語も多く出てくるため、難しかったです。

 

また、駐在員の部長やその家族は中国語が話せないため、生活や手続きのアシスタントも同時に行っていて、一時期は任務が多く残業ざんまいでした。

 

ちなみに、この会社の残業制度は残業代を出すのではなく、残業した時間分を他の日に休暇として取れる仕組みになっていました。また、中国人はプライベートを大切にしたいのか、退勤の時間になると、上司の目も気にせずみんなすぐに席を離れて立ち去ります。


この会社は資金を使い、プロジェクトをたくさん増やし、業務を拡大していきましたが、日中間の習慣やビジネスのやり方などの違いでよく揉め事が起きたり、利益が殆ど無いといって、いずれ開発も打ち切りになるという事態が起きました…….。

 

そんな中、ある日の会議で副社長が

「弊社は資金不足である、よってこれから人員削減を実施する」

…….と宣言し、なんとその日のうちに、私も人事部長に呼ばれ、契約解除の話があり、2025年の春節前にリストラになりました。変化が速すぎて驚きです。

(イメージ図:AIで作成)

 

外国籍社員は本国人より給料が高いことはメリットであると同時に、一旦会社が資金難となった際にはシビアに切られる可能性もあることは知っておいた方が良いでしょう。

特に中国の日系企業は全体的に縮小傾向にあり、たとえ大手でも安定とは程遠い可能性も十分にあります。だからこそ「会社で生きる」のではなく「コレを武器に生きる」と、自身の強みを明確にすることが現地採用では必須です。

 

就職後の出来事、仕事3 ー日中人材ビジネス交流協会ー

それからちょうどリストラのタイミングで中国で入籍しました。

 

海南に残りたいと思い、就職アプリを使って日本語が使える仕事を探しますが、元々日本語専攻や日系企業が他の都市と比べてかなり少ない海南は、募集している数が少なく、仮に返事があっても明らかに怪しい企業も少なくありませんでした。

夫は国営企業に勤務してましたが、給料も決して高いとは言えずこれからどうしようと焦る日々。

 

ところが2か月後、転機が訪れました!

 

高校の日本語教師の紹介を通して、2人の経営者と出会い、彼らの事業が私の経験とやりたいことマッチしていたので、その会社に入社し、チームに加わりました。

 

人情社会の中国では就職においても、一般募集よりもコネや紹介などの方が圧倒的に採用されやすいことを今回の就活を通して実感しました。

 

中国で生活をしていくなら、人脈はやはり大切です。中国の面白いところは、そこまで深い知り合いでなくとも、仕事に関連している人が思わぬ助け舟を出してくれることが多々あるのです!


入社したばかりですが、主な事業は、1つは一般財団法人日中人材ビジネス交流協会海南事務所として、協会に加わっている日本のメーカーさんの商品をオンライン、オフライン両方を使ってプロモーションし、代理商やバイヤーに販売する貿易の仕事。

 

もう一つは教育事業で、海口の高校と提携し、日本語クラブの学生たちに授業をして日本の高校への留学プログラムを勧めたり、日本語語学教室の設立も計画しています。

 

これらの事業はスタートしたばかりなため、私の日本語教師や通訳、セルフメディアの実力を大いに発揮して、経営者たちと協力し、成果をあげていきたいです。

 

最後にアドバイス

ここまで長々と私の6年間に渡る中国の体験談を書いてきましたが、最後に一番伝えたいことは、留学したり、現地で活躍したいなら、身近に中国人のパートナーを作ることが早道(≧▽≦)ということです。

それは親友、恋人、先生、同僚など深い意思疎通ができれば誰でもかまいません。

 

なぜなら、日本と中国は隣国であるにも関わらず、習慣や考え方、価値観が違うところが相当多いです。

そこで、中国人のパートナーがいると、中国の社会事情や中国人の考え方を教えてくれるし、困った時にもパートナーの人脈や経験で助けてくれて、問題解決と心の支えになるからです。

 

人付き合いが得意でない私も、留学時代に夫と出会ったことで、勉強や仕事、人間関係全てにおいて常に彼に相談し、導いてもらったおかげで、中国の大学院をスムーズに卒業でき、2回失業したにも関わらず、海南に残り続けていて、日本人という希少価値を活かして平均以上の収入を頂けています。

 

そして、どれだけの逆境があっても「自分がコレをしたい!」と強く決めたことは、必ず心の中にとどめておいてください。

その決意があなたを支える何よりの原動力となるからです!!私の場合は言語がそうでした。

 

私のように

  • 日本だと居心地が悪い
  • 人生上手くいっていない

…という経験を一度でもされたことがある方は、思い切って中国という新しい環境に身を置いてみてはいかがでしょうか?

中国には、日本にはない開放感と日本以上にチャレンジ可能な環境があります。郷に入って自分の可能性を探ってみると、良い仕事やチャンスに出会え、人生までもが変わるかもしれません。

中国に興味がある皆さんが、私の体験談を参考に、将来中国で活躍されることをお祈りいたします!!

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